☆ 1969年9月1日生まれ。A型。生まれたのは那覇市で、育ちはコザ(現在の沖縄市)。

☆ 父親は米国人だが事情により全く名前も知らない。母親はうちなーんちゅ(おきなわ人)

☆ 事情により母には育てられず、母の兄夫婦、つまりおじさん、おばさんに、生まれてすぐ養子として引き取られ育てられる。

☆ おじ、おばが育ての親だと言う事が分ったのは小学校5年生の時で、聞いてびっくりした。

☆ 教育は、山内小学校、山内中学校、中部工業高等学校と日本の教育のみ。

☆ 22歳の時に、英国2か月と米国へ1年数か月、大体合わせて1年半留学しました。英語はそれまではまったく分らなかった。

☆ 米国人の父は知らないので、日本国籍のみしか持っていない。成田空港で日本人の列に並ぶと必ず「Excuse me」と係官がやってくる。顔で判断しないでほしい。日本国籍を持っていても日本社会には色々な顔立ちの人間が存在するのだから。

☆ 24歳にうちなー(おきなわ)に戻ってきて初めて三線に触れ、それから本格的に「うちなーぐち」も勉強。

☆ 「うちなーぐち(おきなわ語)」はうちなー芝居の名優「真喜志康忠(まきし こうちゅう)」氏から教えを受ける。


☆ バイロンと言う名だが、由来はジェームス・ディーンのミドルネームから。親は日本人として「俊光」という名をつけてくれた。だが、横文字の名がほしいと思い、中学1年から、友人達に自分でこれにしようと決めて「バイロン」と呼ばせていた。24歳の時に、裁判所に申請し戸籍上「バイロン」に変更し、法的にも「バイロン」は本名となる。

☆ 「光龍」という漢字は芸名。育ての親がつけてくれた「俊光」の「光」を「バイ」と読ませ、「龍」は中国語で「ロン」と読む。漢字名がほしかったのでこう31歳の時に自分で命名した。したがって、現在の戸籍上の本名は「比嘉バイロン」とカタカナで「バイロン」。「比嘉光龍(ふぃじゃ ばいろん)」は芸名。

☆ 比嘉の日本語読みは「ひが」。しかし、うちなーぐちでは「ふぃじゃ」もしくは「ひじゃ」と読み、両発音とも正解。私は、うちなーんちゅでもあるし、うちなーぐちの講師もしている。また、先祖から受け継いできた「ふぃじゃ」という発音を大切にしたい為、「ふぃじゃ」と名乗っている。

☆ 日本社会では外国人と日本人との間に生まれた者に対して色々な呼び名があるが、私は自分の事を「アメリカ系うちなーんちゅ(アメリカ系おきなわ人)」と呼ぶ事を提唱したい。私は「ハーフ」でもなければ「トーフ」でもないのだ。
光龍の五つの顔

一 うちなーぐち講師
  沖縄大学地域研究所 特別研究員。現在、定期的に那覇市にあるウェルカルチャースクールにて、隔週土曜日の午前中、うちなーぐちを教えている。お問い合わせ申し込み、また体験入学は098−832−5588まで。
他にも依頼があれば国内外の大学(ドイツのデュースブルク・エッセン大学、ハワイ大学、琉球大学など)や、高校、中学、各自治体、公民館などで教えている。


二 講演会活動
 各市町村や、企業、学校、病院、各市町村老人会、各種団体などで、積極的に講演活動を行っています。皆さんのもとへもかけつけますので是非、私を呼んで下さい。こちら


三 執筆・脚本業・ラジオDJ
・沖縄タイムスワラビーにて毎週うちなーぐち翻訳文を掲載中

・沖縄タイムスワラビーにて2年半、2007年頃まで「うちなぁぐちピリンパラン」というコラムを執筆。

・2008年4月〜12月まで、琉球新報夕刊にて「光龍ぬアハーうちなぁぐち」というコラムを執筆。そのコラム全34回分と、その文を全てうちなーぐちに翻訳し、それを私自身の声で吹きこんだものが
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-139317-storytopic-129.htmlで読め、聞けます。

・おきなわJOHOという月刊誌にて「うちなーぐちありんくりん」というコラムを3年間執筆しました。

・ラジオ沖縄で1970年から続く長寿番組「民謡の花束」を、05年4月から毎週日曜日約3時間の5年半、私自身はすべてうちなーぐちでDJをやっていました。




四 テレビうちなーぐち講座放映中
琉球朝日放送(QAB)にて「光龍ぬうちなーぐちピリンパラン」と言うタイトルでうちなーぐち講座放映中!



五 司会業
結婚式の司会や生年祝い、イベントなどの司会も行っています。司会依頼はこちら