*--光龍ぬうちなーありくり随筆--*

37 2014年7月11日(金)琉球新報記事に琉球が日本ではない証拠が一面トップ!  2014/07/11(金)
36 琉球諸語解説動画をご覧下さい  2013/04/22(月)
35 ハワイの帰りに東京羽田空港内で見た納得できない琉球の写真  2013/04/14(日)
34 うちなーぐち(おきなわ語)は方言ではなく言語である(その2)  2011/07/05(火)
33 うちなーぐち(おきなわ語)は方言ではなく言語である(その1)  2011/07/05(火)
32 うちなー正月編・ウエルカルチャースクールTVCM  2011/02/04(金)
31 ウエルカルチャースクールCM (かじまやー編)  2011/01/22(土)
30 私も教えている「ウエルカルチャースクール」の県内CM  2011/01/21(金)


37 2014年7月11日(金)琉球新報記事に琉球が日本ではない証拠が一面トップ!


上の記事は琉球新報の記事


御総様(ぐすーよー、と読む。皆様の意味)、2014年7月11日(金)の琉球新報に「琉球処分は国際法上不正」という記事が1面トップに躍り出ました!

これは大変な記事です。ものすごく大きな歴史的転換が今、始まったといえる、うちなー、琉球にとって、大きな、大きな一歩を踏み出したことになる記事なのです!

どういうことかというと、大きく4つに分けて考えれば分かりやすいと思うので下にまとめてみます。

 仝什澆眤海い討い覯畩蠅癖瞳慨霖呂梁減澆砲茲詛音被害、また、インフラ整備ができずに経済的発展ができずにいること。また米軍人の粗暴行為など。これらは1972年以前の琉球政府時代にはもっとひどい人権無視だといえる事件・事故が後を絶たなかった。

◆1972年5月15日に琉球政府が日本へ復帰し「沖縄県」が再び設置された。しかし、その前年1971年11月11日にゼネストが起こり当時の沖縄県の人口約90万人ほどの9分の1にあたる10万2千人が集まり日本復帰に反対した。

 1945(昭和20)年9月7日に日本軍が米軍へ正式に降伏調印をした。この日から1972年5月15日までの27年間、沖縄県は沖縄県ではなく「琉球政府」という日本でもアメリカでもなく、また独立国でもないという宙ぶらりん状態の政治状況に置かれる。1945(昭和20)年の沖縄島での地上戦により20万人以上の人が亡くなったが、その半分の10万人の方々は一般市民である。

ぁ1879年3月27日、日本の警察約160人と軍隊約400人の合わせて560人が首里城を強制占拠。4月4日には、明治政府が一方的に「沖縄県」を設置したと布告する。その後5月27日に最後の琉球王「尚泰」を東京へ拉致、軟禁。1901年東京宅にて死去。日本は琉球王国を、米軍に敗戦するまでの66年間占領し支配した。その66年間我々の言語である琉球諸語を「方言」だとし教育や行政などで用いることを一切禁じ、それが2014年現在まで続いている。

簡単にまとめると上の4つだと言えます。ここで注目して欲しいのが、今まで、我がうちなーのメディアや知識人の論調は私の主観ですが3番止まりだったように見受けます。

しかし、現在の米軍基地問題、また1972年のうちなーんちゅの反対を押し切っての日本への復帰、さらに1945年の日本敗戦。その戦争による10万人もの我々の親や祖父母などの一般市民が戦争に巻き込まれ亡くなったことなどは、実はと屬泙任気のぼらなければ原因が分からないのです。もっと言えばもちろん1609年の薩摩侵略こそが元凶ではありますが、そこは後日触れたいと思います。

さて、そのと屬鮑まで東京のメディアも、うちなーのメディアもほとんど見ない、語らない、目を向けようとしなかったように私は思います。
それがようやく数年来の私の知人でもある琉球新報の新垣毅記者がやってくれました。

記事は一面トップにとどまらず、[3]面にはもっとたくさんのインタヴューの記事などを紹介し、琉球王国最後の尚泰王のインタヴューについても触れていて、思わずその出元を知りたくて、新垣毅記者に電話で激励の言葉をかけながらそれについても聞きました。そうしたら「ヤングジャパン」という平凡社から出ている本に収められているということで、早速手に入れました(笑)

さらに記事はそれだけじゃないんですよ。なんと[36]面と[37]面も全面で2面に渡り大きく「根拠不在の琉球併合世界で歴史問う潮流」との見出しです!もうびっくりです。

さらにですよ、[38]面にも「国際社会に訴える『琉球処分』国際法上不正 関係者 決意強く」との記事まであります。

もう、明日、明後日にでも、うちなーは独立しそうな勢いなんですけど。

私は10年も前から「琉球処分」ではなく「琉球侵略」、さらに「おきなわ方言」ではなく「うちなーぐち(おきなわ語)」と主張してきました。ようやくそういうことが、我がうちなー社会でも認識される日が来たのかと思うと感無量です。是非、これらの記事に目を通して頂ければ幸いです。
Date: 2014/07/11(金)


36 琉球諸語解説動画をご覧下さい



 忘れていました。去年2012年1月にアップされていた私の琉球諸語解説動画です。これの字幕なしの動画は見ていましたが字幕入りのものは、パトリック・ハインリッヒ獨協大学准教授が英語でアップしていたので日本語で私のことを検索してもかからなかったのです。それを最近、琉球大学の研究生でオランダ人のハイス・ファン・デル・ルベに教えてもらったので気づきました。

上から「うちなーぐち」「日本語」「英語」と三つの字幕がありますので、うちなーぐちを勉強したい方にも、また英語を勉強したい方にも教材として利用していただければ幸いです。

ゆたさるぐとぅ(よろしく)うにげーさびら(お願いします)。
Date: 2013/04/22(月)


35 ハワイの帰りに東京羽田空港内で見た納得できない琉球の写真


 2010年11月にハワイ大学にて講演を頼まれて行きましたが、その帰りの飛行機で東京羽田空港に着きました。その空港内で見過ごす事が出来ない看板に出会いましたので、思わず写真を撮りました。

「YOKOSO JAPAN」の看板に大きく映し出されている写真は「琉球村」にある伝統的な琉球建築の家。

「ようこそ日本」の表記で「琉球村」というのは、納得できません。

なぜ?とピンとこない方もいるかもしれませんので、琉球王国が日本に崩壊させられた歴史を簡単に書きます。

1609年に薩摩は琉球を侵略し裏から支配しました。それは270年近く続きました。今度は、薩摩に代わり、東京の中央政府が琉球を直接支配すると言い、1879年3月27日に、160人の警察と400人の軍隊、合わせて560人を派遣し首里城を武力占拠しました。

その2日後3月29日の午後10時に琉球王国最後の尚泰王は首里城から強制退去させられ、隣の中城御殿にて軟禁状態になり、4月4日には日本政府は勝手に「沖縄県」を設置した!と全国に布告しました。

翌月の5月27日には、琉球側の嘆願に次ぐ嘆願を日本政府は全く聞き入れず、尚泰王を強制的に東京に拉致連行し、そして東京で軟禁状態にしました。琉球王国最後の王、尚泰はその後、明治34年に東京にて亡くなったのです。

この事実をほとんどの沖縄県民は知らないのではないでしょうか?こういうことは学校でも教えられないし、テレビ、ラジオ、新聞などでもほとんど報道されません。歴史を知らなければ、琉球の文化を大切にするとか、言語を大切にしようという心は育まれないと思います。

それならば琉球は本来の姿、独立国になるべきだという考えもありえるでしょう。ただ、私が現在もっとも望む形は、琉球の文化の根源である「琉球諸語」を学校教育にて義務教育化し、日本語と併用し教える。さらに、琉球諸語のイマージョンスクールも作られるべきだと思っています。

私は琉球諸語が、ハワイや、イギリスのウェールズ、また、スペインのカタルーニャなどの少数言語のように、法律で言語を教えることを定めたり、また、教育に導入させるという事のような、文化的独立を何よりも望みます。

さて、この文章を読んだ方は上の写真をどうとらえるでしょうか?

私は「YOKOSO JAPAN」ではなく、「めんそーり琉球んかい(いらっしゃい琉球へ)」、アルファベット表記なら
「MENSOORI LUCHU NKAI」としてもらうことを望みます。
Date: 2013/04/14(日)


34 うちなーぐち(おきなわ語)は方言ではなく言語である(その2)


うちなーぐち(おきなわ語)が方言ではないという事は琉球の歴史を見ればあきらかですが、その私の唱えている当たり前の事実に、世界遺産保存活動を行っている世界的な機関、あのユネスコ(国連教育科学文化機関)が、2009年2月に後押しをするように、うちなーぐちは方言ではなく言語であると発表したのです。

この大きな事実を取り上げてくれたのは朝日新聞でした。

その記事が

http://www.asahi.com/shimbun/nie/kiji/kiji/20090302.html

で読めますのでどうぞご覧ください。

ユネスコが発表した事を少し解説すると、日本には日本語以外8つの言語が存在するが、それらは危機言語であり、今後何らかの対策を講じないと消滅していく恐れがあると言う事です。

その8つの言語ですが、「アイヌ語」と、東京都に属する八丈島の言語、「八丈語」の2つが琉球諸島以外にある言語です。

残り6つの言語は、琉球諸島にあると発表しました。

上に、私が言語学者から聞き取りをして作成した地図を掲載していますのでそれを見ていただきたいのですが、北から、

奄美語
国頭語
おきなわ語
宮古語
八重山語
与那国語

となります。そしてユネスコの担当者は

「これらの言語が日本で方言として扱われているのは認識しているが、国際的な基準だと独立の言語と扱うのが妥当と考えた」と話しています。

うちなーぐち(おきなわ語)は方言ではなく、当たり前に世界は言語と認識してくれたのです。

ちなみに、琉球諸島の6つの言語を、現在では「琉球諸語(りゅうきゅうしょご)」と呼ぶ事が言語学者の間では一般的になりつつあります。

「琉球語」と、今まで呼ぶ事が多かったのですが、琉球諸島には6つの言語がありますので「琉球語」と言うと、与那国語?国頭語?などと、どの言葉について言っているのか良くわかりません。

したがって「諸」という字を入れた「琉球諸語」だと、いくつかの言葉が入っているのだなと、すぐに連想できるのだと、琉球大学教授の宮良信詳氏から教えていただきました。


Date: 2011/07/05(火)


33 うちなーぐち(おきなわ語)は方言ではなく言語である(その1)

うちなーぐち(おきなわ語)が方言ではないという事について書くと、本が1冊出来てしまうほど、私には書きたい事が山ほどあります。

実は私、ここ数年来、毎日24時間、この事ばかり考えて生きてきましたと言えるぐらいです。

もう思いが強すぎて、何から書いて良いかわからないほどです。

うちなーぐちは方言ではないと言う事を説明する為に、日本語とは違う言語なのだと、言語の面からこれまで説明してきたのですが、それではあまり理解してもらえていないように思えるので、歴史の面から説明していけばもっと分かりやすいのではないかと最近思い始めました。

ですから歴史的な事も含めて何回かに分けて説明してみたいと思います。

そもそも、琉球王国は1187年に舜天(しゅんてぃん)という国王が即位し、1879(明治12)年に日本が沖縄県を強制設置した692年もの間、独立王国として地球上に存在していました。

それが、1879年から2011年現在までの105年間(27年間は米国支配なので差し引く)で、日本が強制支配した事により、琉球王国の言語は方言とさげすまれてしまい、教育や政治などの場から排除され、ほとんど撲滅状態に追いやられてしまいました。

「方言」という言葉は差別的な意味合いが強く、言語学者の間ではこの言葉を使わないようにしようという人も徐々に増えつつあります。

692年もの間、琉球王国は続いてきましたが、1609年に薩摩が琉球を侵略したという事実も見逃してはいけません。

その当時、豊臣秀吉の朝鮮侵略などがあり、中国は日本と貿易をする事をやめていましたが、琉球王国は日本ではないので中国との貿易はできました。

そこに目を付けた薩摩は琉球を侵略し裏から支配し、中国との貿易の利益を搾取していました。

しかし、それでも、表向きではありますが、琉球王国は独立国として西洋にも認識されていました。

その証拠が、1854年アメリカと、1855年にはフランスと、1859年にはオランダと、それぞれの国との間に修好条約を結んだ事です。

アメリカも、フランスも、オランダも、琉球が薩摩の属国だと言う事を知っていたのかは分かりませんが、その西洋の列強国が琉球王国と修好条約を結んだのです。

もし、琉球を独立国として考えていなかったのならば、直接薩摩と修好条約を結ぶべきでしょう。

1609年以降、琉球王国は裏では薩摩に操られてはいましたが、国際的には独立王国として認知されていたのです。

1609年以前は完全な独立国で、1609年以降1879年までは、薩摩や日本に裏で支配をされてはいましたが、表向きは、独立国として国際的には認知されていました。

国王を始め琉球の貴族や士族たちは、首里の言葉が中心の「うちなーぐち(おきなわ語)」を、琉球の公用語として使い、おきなわ島以外の琉球諸島では、それぞれの琉球諸語を使っていました。
Date: 2011/07/05(火)


32 うちなー正月編・ウエルカルチャースクールTVCM
うちなー正月、今日は2日、つまり旧暦の1月2日でまだまだ正月です。

いやー、めでたいです。めでたい。

ただ、肝心の我がうちなーでは何かあるの?と言わんばかりの静寂ぶりです。今日がうちなー正月の2日だと知らない人がどれだけ多いことか。寂しい。寂しすぎる。

うちなー正月が復活するときには、うちなーぐちも復活しているでしょう。

さて、うちなーの正月にふさわしい琉歌と言えば

「粗玉(あらたま)ぬ年(とぅし)に
 
  炭(たん)とぅ昆布(くぶ)飾てぃ

  心(くくる)から姿(すぃがた) 若くなゆさ」

という琉歌です。

この意味は、
「粗玉の年に炭と昆布を飾って祝えば、心も姿も若返るような気持になる」と解釈できます。

この「粗玉」という漢字ですが、新年早々「粗い玉」というのは言葉があまり新年っぽくないと言うことで敬遠されて、「新玉」と書かれている書物も結構あります。

しかし、私の尊敬する島袋盛敏氏の著作「琉歌大観(1964年刊)」には、本来は「粗玉」であると書いてあります。

つまり「粗玉」というのは、ダイアモンドの原石を掘り出したばっかりだと考えれば良いでしょう。それが1月1日で、日が経つにつれて、そのダイアモンドの原石は磨かれていくのです。そして12月の大みそかを迎える時にはすごく磨かれていて、皆さんが指環やネックレスなどで見かける美しい姿になっていく、と私は解釈します。

その原石を今年いっぱいそれぞれの人が、それぞれ頑張って1年かけて磨いて光輝かせよう!

そういう気概を感じるのが「粗玉」と言う漢字の持つ力だと思うのです。

これを「新玉」と書くと言葉は新年っぽいのですが、何か平凡な感じがするのは私だけでしょうか。

そして「炭とぅ昆布飾てぃ」ですが、うちなーでは正月に炭を昆布で巻いて飾る風習があります。しめ縄にみかんと一緒に飾られているのは今でもよく見かけると思います。

ただ、大正6年生まれの首里金城町生まれの、私のうちなーぐちの師匠から聞いたところによると、生米を持った容器の上に昆布を巻いた炭を昔は飾っていたという事です。

これは私も現物を見た事がないのでぜひ、復活させたいものですね。

そして唄に戻りますが、「炭とぅ」は日本語の「たんと」から来ています。「たんと」は、「たくさん」とか「どっさり」という意味の日本語で、時代劇や昔話などで「たんとおあがり」と使われる言葉は誰でも聞いたことはあると思います。

その「たんと」をうちなーぐちでは「たんとぅ」、それに漢字を当てて「炭とぅ」と、語呂合わせですね。

そして「昆布」ですが、うちなーぐちでは普通「くーぶ」と言いますね。昆布炒りちー(くーぶいりちー)を食べた事がない、うちなーんちゅはまずいないでしょう。スーパーでも惣菜コーナーに普通に売っていますよね。

その「くーぶ」と言う言葉ですが、琉歌にすると言葉が詰まって短くなるという事はよくあります。

例えば有名な那覇港の近くの「三重城」という、琉球王国時代の港ですが、口語では「みーぐしく」と言います。

これを唄にのせると「みぐしくにぬぶてぃ てぃさじむちゃぎりば〜」という風に「みーぐしく」は「みぐしく」と短く詰まって発音、また表記されます。

こういう例は枚挙にいとまがないのですが、この「くーぶ」も良い例です。ここでは唄にのせる為に「くぶ」と短く詰まるのです。

ただ、「昆布巻き」という食べ物がありますが、これは普通「こぶまき」と読みます。これは「よろこぶ」という言葉に繋がるので縁起ものだと言うことで、日本ではおせち料理にも入っている定番なので、大和からやって来たものだというのが本当の所でしょう。

色々調べていると「炭に昆布を巻く」というのも大和にもあるようなので、これも、もしかしたら、うちなー本来のものではなく大和から来ているかもしれません。

それとも中国にもあるものが日本に伝わって、ということもあるかもしれませんし、皆さん各自調べて見て、何か分かったら教えてもらえませんか?

うにげーさびら(お願いします)

いずれにせよ、炭に昆布を巻くというのは、うちなー本来の習慣ではないのかもしれません。

はい、説明が長くなりましたが、ウエルカルチャースクールのCMでお正月編を取りました。これも30秒なのであっと言う間に終わります。

かじゃでぃ風を正月に唄われる琉歌「粗玉ぬ〜」にのせて唄っています30秒聞いて下さい。


Date: 2011/02/04(金)


31 ウエルカルチャースクールCM (かじまやー編)




那覇市真地にあるウエルカルチャースクール(098−832−5588)

http://well-culture.jp/top.html

にて私はうちなーぐち(おきなわ語)を教えてもいますし、ウエルカルチャースクールの県内のみのテレビCMも私がやらせて頂いています。

30秒のCMなのですが、6つ違うVersionを撮りました。

そのなかで「風まやー」という題で面白くまとめてあるCMを今回は紹介します。


「風まやー」とは、「風」に「廻る」という言葉がくっついた単語です。

「廻る」は普通「まーいん」、もしくは「みぐいん」とも言いますが、廻っている状態の事を「まーやー」と言います。

その廻っている状態の「まーやー」の上に「風」という単語がくっついたので「まやー」と短く言うようになったと考えられます。

この「まやー」は「まやー(猫)」とは関係ないので勘違いしないで下さいね。発音は「猫(まやー)」と全く一緒ですが同音異義語です。

ああ、ややこしや。


そして「かじまやー」という単語が生まれたのですが、「風廻(かじまやー)」とは「風車」という意味です。


まず初めに「風廻(かじまやー)」、つまり「風車」と言う意味のうちなーぐちが誕生したと考えられます。

その「風廻」は十字形をしている、つまり、線と線が交差している。それはすなわち道が交差している事に似ているので交差点、特に十字路のことを「かじまやー」と呼ぶようになったと考えられます。

「あじまー」と言う言葉もありますが、交差点、十字路をうちなーぐちでは「かじまやー」と呼んでいます。

そして、「うちなー(おきなわ)」では九十七歳のお祝いも「かじまやー」と呼びます。

これは他府県には無い風習ですね。

さて九十七歳のお祝いをなぜ「かじまやー」と呼ぶか?

これには2つの説があります。

一つは九十七歳まで長生きすると、人間は童心に還るというのを皆さんは聞いたことはありませんか?

つまり、年寄りになればなるほど、子どものような純粋な心に還っていくという意味で、子どもが大好きな遊び道具のひとつである「風車」を持たすことで九十七歳のお祝いを「風廻(かじまやー)」と呼ぶようになったとも言われています。

これが今、巷で伝わる「風廻」の一般的な解釈だと言えます。

が、しかし、もうひとつの説はですね、十字路、交差点と大いに関係があるのですが、実は昔、九十七の歳を迎えた方には模擬葬式の儀式を行ったそうなんです。

つまり、葬式の予行演習。

その時にあの世、うちなーぐちでは「後生(ぐそー)」と言いますが、ぐそーの十字路で迷わずに渡る練習をしましょうと言うことで、その七つの十字路を儀式として渡らせ、そこから「かじまやー」を渡らせる九十七歳の儀式と言うことで、誰彼ともわず「かじまやー」と呼ぶようになった、とも言われています。

もうひとつ、この七つの橋を渡らせる儀式ですが面白いエピソードがあります。

この七つの橋を渡らせて行き着く先は、九十七歳の方が将来入るであろうお墓なのですが、そのお墓までの行き戻りの行列に出会うと、とても縁起が悪いということで、昔の人は皆、忌み嫌ったと言うことです。

ですから、この行列は見たくもないし、聞きたくもないというのが昔の人の心情だったようです。

しかし、現在はどうでしょう。市町村によっては九十七歳のご老人をオープンカーに乗せ自分達の市町村域を誇らしげに走り回ります。

それを沿道の方たちはオープンカーに乗っていらっしゃるお年寄りに対して忌み嫌うどころか、手を振って、まるでボクシングの世界チャンピオンを出迎えるかのような声援を送ります。

昔の人が現在の光景を見たらどう思うでしょうか。

私には何とも言えません。


と、まあ話は横道にそれてしまいましたが、なんだか、七つの十字路を渡らせた儀式の方が説得力ありますよね。

皆さんはどう思いますか?


さて、かじまやーの意味をまとめると

1、風車

2、十字路、四辻、交差点

3、九十七歳のお祝い

と3つ定義があるんです。

その3つを急ぎ足で30秒のCMで解説しました。

伝わったかな?
Date: 2011/01/22(土)


30 私も教えている「ウエルカルチャースクール」の県内CM





御総様(ぐすーよーと発音。皆様の意)

我が出じとーるCMぬQAB居てぃそーいびん。
(私の出演しているCMが琉球朝日放送にて放送されています)


実は、このCMは全部で6種類あり、これは挨拶編です。琉球朝日放送(QAB)のみの放送で、時間は特定できません。

だから突然流れます。

2011年お正月には集中的に「お正月編」が流れましたので結構見たという方が多かったです。

その「お正月編」も機会があればここで紹介したいと思います。

このCMは30秒なので、あっ!という間に終わってしまいます。

ただ、私はうちなーぐち(おきなわ語)にこだわっているのでわずか30秒でもうちなーぐちでCM出演できてとても嬉しいです。

これもひとえにウエルカルチャースクールのお陰です。御拝(にふぇー)でーびる。

そして、CMに出演しているだけではなく、実はこのウエルカルチャースクールにて月に2回、隔週土曜日ですが、午前中、9時半から11時の1時間半うちなーぐちを教えています。

時間のある方、うちなーぐちに興味のある方、めんそーち呉みそーり(いらっしゃって下さい)。

詳細はウエルカルチャースクールのHP

http://well-culture.jp/top.html

にてご覧ください。
Date: 2011/01/21(金)


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