*--「アメリカ系うちなーんちゅ」随筆--*

26 facebookにUpした私を外国人と勘違いした人とのやりとり  2013/04/22(月)
25 第一回アメリカ系うちなーんちゅの会  2013/04/22(月)
24 国会議員玉城デニーさんとミニトーク  2013/04/16(火)
23 私が初めて出演したドキュメンタリー番組  2010/10/28(木)
22 アメリカ系うちなーんちゅ(その4)  2010/10/25(月)
21 アメリカ系うちなーんちゅ(その3)  2010/10/24(日)
20 アメリカ系うちなーんちゅ(その2)  2010/10/23(土)
19 アメリカ系うちなーんちゅ(その1)  2010/10/22(金)


26 facebookにUpした私を外国人と勘違いした人とのやりとり

写真は特に文章とは関係ありません。イメージです(笑)


 Facebookをやっている方ならご存じだと思いますが、見ず知らずの方や、知り合い、また旧知の友人たちからも友達リクエストが来ます。そこで承認すると、何かしら承認してくれてありがとう的な返信がきます。その際に、私のことを外国人だと勘違いしているなと思う内容も良くあります。それに対して最近、なぜかきちんと自己紹介を兼ねて私のことを知ってもらおうと思い、そのリクエストをして下さった方へ丁寧に返事したのです。

それを読み返して、これは二人だけのやりとりではもったいないなと思い、その方の許可も得てfacebookにUpしたのです。するとかなり反響があり、それは今でも続いています。これをfacebookのみに置いておくのはもったいないし、もしその文章が消えたりしたら困るので、この私のウェブサイトにも残しておこうと思いました。

さて、それではfacebookに掲載してある内容をそのままに下に記します。


「アメリカ系うちなーんちゅ」である、私、比嘉光龍(ふぃじゃ ばいろん)は外国人と良く間違われます。下にFacebookで友達リクエストを承認したらこう返事が来ました。

大城 ○○子 2013年3月11日 17:37
承認ありがとうございます。ウチナーンチュよりウチナーグチ上手いですね〜!
宜しくお願いします。

”これに対して皆さん勘違いしないで下さいね、私怒ってないですからね、冷静に下の返信を書きました。”


大城さん、友達リクエストを送って下さり、とても嬉しいです。今後とも、ゆたさるぐとぅ(よろしく)うにげーさびら(お願いします)。

そして、勘違いなさっているようですが、私は「アメリカ系うちなーんちゅ」です。

どういうことかというと、父はアメリカ人ですが事情により全く知りません。母は金武町出身です。しかし生後すぐ、母の兄夫婦、つまり、おじ、おばの養子になりました。したがって国籍は日本のみです。教育も、山内小、中、中部工業高校と日本の学校に通いました。英語はまったく話せませんでした。しかし、それではまずいと思い、22歳の時にアルバイトをして留学資金をためて、アメリカで約1年半、英語を勉強しました。そのあと、生まれ故郷、おきなわに戻ってきて歌三線を始め、うちなーぐちを先輩たちから学び現在に至ります。

アメリカに行った時に父親とは会いませんでしたし、その前に実の母がアメリカ人の父のことは一切教えなかったのです。もう10年以上前にその実母も他界したので、私のアメリカ人の父のことはまったく誰も分からない、という状況です。つまり、私は当たり前のうちなーんちゅであって、ただ単に、アメリカの血が入っただけで、国籍、教育は100%日本です。アメリカには日本のパスポートがないと入国できません。大城さん分かっていただけましたでしょうか?

私に、「うちなーんちゅよりうちなーぐちがうまいですね」というのは見た目が外国人に見えて、私の事情が分からないからそうおっしゃったものだと思いますが、私は「うちなーんちゅ」であって、「うちなーんちゅより」という言い方は、大城さんは私のことを「うちなーんちゅ」ではない外国人だと、目で見た情報のみでおっしゃっていると思うんですね。上で述べたように、私はアメリカとは一切関係のない人生を親の事情により歩んできました。だから、西洋人の顔をしているからという情報のみで「うちなーんちゅより、うちなーぐちがうまいですね」というのは恐らく私を外国人だと勘違いなさっているのでこう書かれたと思うんですね。

私は誰が何と言おうと「うちなーんちゅ」ですし、国籍は日本のみです。アメリカ人にはなれないんですよ。その辺のことを理解していただければ幸いです。お気を悪くなさらないで下さいね。こういう勘違いは私にとっては毎度のことなんです。

面倒くさいなと今まで思っていたのですが、きちんとわかりやすく説明することも今後大切だと最近思っていて、だから冒頭に述べた「アメリカ系うちなーんちゅ」という会も最近ですが立ち上げました。この説明は長くなるので簡単に説明すると、これまで私は「ハーフ」と呼ばれてきました。しかし、それは「半分」という意味でNHKでは放送自粛用語だと聞きました。だから、それに変わる「アメリカ系うちなーんちゅ」という言葉を考え出したのです。今後、私の説明を他の方にする際には「ハーフ」ではなく「アメリカ系うちなーんちゅ」と呼んでいただくと助かります。以上です。長くなりすみません。

それでは、今後ともお友達、ゆたさるぐとぅ(よろしく)うにげーさびら(お願いします)。

比嘉光龍(ふぃじゃ ばいろん)
Date: 2013/04/22(月)


25 第一回アメリカ系うちなーんちゅの会


写真は、私と武田誠さんが会の検討事項に二人で目を通している様子です。


ついに待ちかねていたこの日がやって来ました。「アメリカ系うちなーんちゅの会」がようやく発足しました!

2013年2月24日(日)の午前9時から2時間、宜野湾市にある勤労青少年ホームというところで会を始めることができました。

会は、7名で始めました。アメリカ系うちなーんちゅは私を含めて5人で、そうではない方が2人です。この会は基本的に誰でも歓迎です。日本、うちなー社会で人種的なことで悩み苦しんでいる方ならば、どなたでも気軽にお越し下さい。

また、マスコミの取材も大歓迎です。

そして、すごいことに、国会議員の玉城デニーさんもサプライズで駆けつけて下さいました。いつか必ずきてもらって一緒にこの会で語り合い、また今後の「アメリカ系うちなーんちゅ」のあり方について一緒に行動できたらと思っていました。写真に写っているリチャード・ギアに似ている、同じアメリカ系うちなーんちゅの武田誠やっちー(兄さん)が、密かに声をかけてくれていたのです。

10分ほど遅れて玉城デニーさんはいらっしゃったのですが、思わず「アッ」と声をあげてしまいました。

私にとってデニーさんが国会議員になったということは、アメリカのアフリカ系アメリカ人達が、同じ血を引くオバマ氏がアメリカの大統領になったことと同じくらいの感激でした。アメリカ社会で「アフリカ系アメリカ人」はマイノリティですが、日本社会で「アメリカ系うちなーんちゅ」はもっとマイノリティだといえます。玉城デニーさんは、そんな私たちの代表だといえるでしょう。その方がいらっしゃっていただき、また、私が提唱している「アメリカ系うちなーんちゅ」という言葉に賛同して下さいました。こうなれば後は会を広げるまでです。

この会を発足させたのには色々な理由がありますが、そのことについて社会に伝えたいことは山ほどあり、それを、ここで書くととても長くなるので、いつかそれを少しずつ、マスメディアや講演などをして伝えていこうと思っています。

とりあえずたくさん伝えたいことのなかから、ひとつ、うちなー、日本社会に伝えたいことがあります。

それは、「西洋人の風貌をした人に英語で話しかけると傷つく人がいます」ということです。

なぜか?それは、私たち「アメリカ系うちなーんちゅ」のほとんどは米国人の父親を知らない、もしくは両親が幼い頃離婚しており、父親ではなく母親方に育てられています。

したがって英語教育ではなく、日本の教育のみを受けました。英語で話しかけられると、きちんと返すことは難しいという人がほとんどです。

そこで「なぜ英語をきちんと話せないのですか?」と相手に問われると「父親に育てられていないから」という生い立ちを説明しなければなりません。これはかなり個人的な情報です。それを今会ったばかりの人に言うというのはかなり苦しく傷ついてしまいます。

こういうことも含めて私たちのことを社会にきちんと伝える会にしていこうと思っています。
Date: 2013/04/22(月)


24 国会議員玉城デニーさんとミニトーク

写真は、私とデニーさんが和気あいあいと語っている様子です。


私の知人でアメリカのスタンフォード大学で客員研究員(Visiting Scholar)をしている、S・マーフィー重松氏から紹介されたMitzi Uehara Carterという女性から「Mixed Roots」というテーマの、ちょっとしたイヴェントを宜野湾市でしたいので参加しないかとお誘いがありました。

S・マーフィー重松氏、Mitzi Uehara Carter、私、比嘉光龍の3人は、父はアメリカ人、母は日本人という存在なので3人とも共通点があります。ただ、S・マーフィー重松氏の母はやまとぅんちゅ(日本人)ですが、私とMitziの母は、うちなーんちゅ(おきなわ人)なので、母親のもたらす文化の違いはあります。さらに、S・マーフィー重松氏とMitziは英語教育を主に受けて育っていて、私は日本語教育のみなので、その違いもかなり大きいです。

まあ、これらの人々を総称して英語では「Mixed Roots」ということも多いようですが、私は、英語のみの教育を受けておらず、父はアメリカ人、母はうちなーんちゅ(おきなわ人)の方々を自分も含めて「アメリカ系うちなーんちゅ」という言葉を作りました。これについては、この「アメリカ系うちなーんちゅ随筆」にたくさん書いてあるのでそちらも読んでいただければ幸いです。

さて、そのMitzi Uehara Carterの折角のお誘いなので、色んな人に声をかけてみようと思い、同じ境遇の方々に声をかけましたが、その中に玉城デニー国会議員もいました。わざわざいらっしゃっていただいて、主催者のMitziは「Oh my god」を連発していました(笑) 

そして、ただの交流会と思いきや、ビデオ上映があったり、発表があったりと、ミニシンポジウムのような雰囲気だったのです。そして、私と玉城デニーさんがコメントを求められたので舞台というか、参加者の前に座りマイクを通して二人の「Mixed Roots」の思いを語りました。

そして、そこで国内外の「Mixed Roots」を研究する方々に「アメリカ系うちなーんちゅ」という私たちの存在を説明しました。人種や偏見などのことについて語り合う繊細な空間でしたし、外国人も多かったので私たちの話は英語で通訳され、その間少し待たないといけなかったりして、何か自分のペースで進められなかったし、人前で発表するとは思わなかったので心の準備をしていなかったからと、色々な要素が重なったので、いつにもない変な緊張をしてしまいました(笑)
Date: 2013/04/16(火)


23 私が初めて出演したドキュメンタリー番組

上の写真は、第11回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品
『沖縄(うちなぁ)んじ生(ん)まりてぃ〜差別の連鎖を越えて〜』 (制作 沖縄テレビ)
のロゴ



私の人生で初めてのドキュメンタリーが2002年に日本全国で放映されました。これを撮ろうと思ってくれたのは、沖縄テレビ(OTV)で、現在は営業で頑張っている宮城歓さん。

彼は、「ひめゆり忠臣蔵 吉田司 著」
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4872335317.html

という本を読んでいた時にちょうど、私の唄三線ライブを見に来てくれたのです。

彼が言うにはこの本が光龍を撮れと言っていたような気がしたとか。

私も読みました。

かなり辛辣で、うちなーんちゅは必読の書でしょう。


私はこの頃、特に自身のライブの宣伝をしているわけでもなかったのです。

さらに、彼自身、私が何者で、何をやっているのかまったくわからないというところから、私の取材が始まったのです。

そして、私の生い立ちや、うちなー社会で特異に見られていること。

それだけではなく、私の事を社会は「ハーフ」、「混血」だの勝手に定義していることに関して私は怒り心頭でした。

ちょうど9年前です。2001年の終わりごろから取材は始まり、2002年の初夏に撮影は終わり、その後すぐ、東京や仙台など全国で放映されました。

ここ、うちなーでは、フジテレビのウェブサイトに2002年8月11日と書かれています。

http://www.fujitv.co.jp/b_hp/fnsaward/backnumber/back/02-194.html

にもっと詳しいことが書かれていますので、ご覧ください。



そして、上のドキュメンタリーですが、2年ほど前に見返したのです。そうしたら怖かった。

俺ってなんでこんなに怒っているの?

なぜ、そこまで気張らないといけないの?

と、正直今では、このドキュメンタリーを見返すのはきついです。

ただ、それだけやけっぱちになっていたのだろう、それだけ人生苦しかったのだろう、また、うちなーぐちで表現するなら「あっぱんがれー(やけを起こすさま)」になっていたのだろうと思います。

ただ、あそこまで、「あっぱんがれー」になっていたから、今、少しは苦しい人の立場を考えることが出来るかなとも思います。

まあ、まだまだですけどね。

最近、宮城歓さんと2人きりで同窓会めいた飲み会をしました。

彼は「あの時はあの時で、いっちゃってるバイロンやっちー(にいさん)だから良かった」とほめられているのか、何なのか分からない事を言われました。

そして、攻撃的な自分が映っているからというのも、もう見返したくない理由ではありますが、うちなーぐちが中途半端なんですよ。

それも嫌だ。

でも、あれはあれで、確かに私の足跡ではあります。

実は、「財団法人放送番組センター」と言うところで、多分、ただでこのドキュメンタリーが見られると思います。そこのホームページで私のドキュメンタリーを探すと確かにありました、それが

http://www.bpcj.or.jp/search/show_result.php?query=438906&pagetop=0&category=0&sort=3


です。
場所や連絡先は

〒231-0021 神奈川県横浜市中区日本大通11番地 横浜情報文化センター内
電話:045-222-2828/FAX:045-641-2110 です。

時間のある方はどうぞ。
Date: 2010/10/28(木)


22 アメリカ系うちなーんちゅ(その4)


(上の写真は、ヨーロッパ初と言われるうちなーぐち講義を、ドイツのデュースブルク・エッセン大学にて行っている様子です。)





「〜系」という言い方はアメリカ社会では当たり前なのですが、それならば、日本は?

在日という言葉ぐらいはようやく聞きますが、私のような外国人の親を持つ方に対しては特に社会では名称は存在しません。

その変わり「ハーフ(半分)」という、とんでもない言葉のみしか存在しないように思われます。

ここで、ようやく結論ですが、私を定義するならば

「アメリカ系うちなーんちゅ(おきなわ人)」

これが事実に一番近い私の生い立ちを言い表している言葉だと言えると思います。

この言葉に関して、同じ境遇の方からたくさん賛同の言葉を頂いています。

これを読んで下さっている皆さんへ。

日本社会が私を差別しようとしているわけではないのですが、ただ単に、外国人の親を持つという人が、あまり身近ではないので結果的に、偏見を持たれたり、差別的な対応をされたりという事実は存在します。

そういう人が日本社会に存在する事を知らない、つまり無知によって私は今でも外国人扱いを受けているという事も、ここで記しておきます。

私のプロフィールに書いたように成田空港内で、外国に行く、また戻って来たときに日本人の列に立つと、係官は外国人だと思い「並んでいる列は間違っています」と親切に教えにくるという嫌な思いを何度もしてきました。

こういう事はいくらでも日本社会で生きていれば枚挙にいとまがないのですが、今まではこういう事は別に言わなくてもいいや、とほうっておいたのですが、実は精神的に結構きついのです。

これからもこういう偏見は、誰かが声を出して訴えない限り、ずっと続いていくでしょう。

ですから、こういう無知や偏見をぬぐいさる為には、きちんと自分の事を社会に説明しなければいけないと考えました。

その上で、まずは自分の生い立ち、存在を社会に知らしめる。

では何と言えば私の生い立ちや存在を日本社会に住んでいる人たちに、すぐ理解してもらえるか?

それが「アメリカ系うちなーんちゅ」という言葉だと私は思うのです。

私自身、アイデンティティを強く意識し、ずっと考えてきてこの言葉に行きつきました。

2010年現在の私が考えて、最善だと思う言葉がこの言葉なのです。

この「アメリカ系うちなーんちゅ」という言葉に対しては、私自身特に感情的に害はまったくありません。

ただ「ハーフ(半分)」という言葉に関しては凄く嫌悪感を感じます。

今後、こういう人種的な事について色々な方面から意見を求められていくことだと思いますが、やはりきちんと肯定的に、私という存在を社会に説明すると言う事は私自身の使命だと思っていますし、そう感じます。

今まで、ここ、うちなー社会でこういう事をきちんと記した本や、文章、また人物に出会ったことがありません。

誰もいないのならば、私が言えば、私が書けば、私が説明すれば良いと思いました。

これを読んだ方で説明や意見や講演など、何でも必要な方はメールを下さい。出来る限り返事を差し上げたいと思います。
Date: 2010/10/25(月)


21 アメリカ系うちなーんちゅ(その3)

(上の写真は、那覇市テンブス館で、うちなーぐち講座を講義した後に事務所にて。)





そうなのです、これまで定住していた土地を離れ移住した民族、また家族、個人、色々なケースがあるでしょうが、移住をした人たちは必ず苦労をしますし、偏見や差別を受けてきているというのが、歴史を見れば容易に分かります。

移住をした人たちは、今まで定住していた人たちからすれば他人ですし、よそ者です。

その人たちはがんばって移住先で生活をします。

そして安定すると子どもを産み、またその子が子どもを産み、孫もできるでしょう。

子や孫の世代からようやく移住先の国や土地で受け入れられていくのです。

しかし、その子や孫たちの風貌がドイツ代表選手のエジルのように違っていたとすれば、当のドイツ人はどう思うのでしょう?

やはり不思議に思うはずです。ここが一番大切な点です。

当のドイツ人がエジル選手を見て

「この人はドイツ人の顔をしていないからドイツの代表に加えてはいけない」

と言い出したらもう大変でしょう、それは差別です。

まあ、こういう反応をする人ってまともな人ではないでしょうからおいといて、ほとんどのドイツ人は

「なぜ顔が違う?」

と単純に疑問を持つだけでしょう。

その時にテレビや新聞などで

「トルコ系ドイツ人のエジル選手」

と報道されれば、ドイツ人皆が納得するでしょうし、また、そう報道されています。

そういう事です。

ドイツであろうがアメリカであろうが、現代では親が移住、移民してきた方たちは「〜系」と頭に付ける事が一般化しています。

アメリカを例にとると、

オバマ大統領は「アフリカ系」、

また、

映画俳優のアル・パチーノやロバート・デ・ニーロは「イタリア系」、

また、私が好きなアメリカのロックバンド

「リンキンパーク(Linkin Park)」の中心メンバーであるマイク・シノダは「日系」三世となります。

その4に続く。
Date: 2010/10/24(日)


20 アメリカ系うちなーんちゅ(その2)


(上の写真は、琉球朝日放送(QAB)にてCMを撮影している様子。)





その答えはオバマが大統領になった頃から、特に強くなりました。

オバマ大統領をメディアは「アフリカ系アメリカ人(African American)」と定義します。

普通にアメリカ人と言わないというのは差別だ、と思う方もいるかもしれません。

けれども、これは、「差別」ではなく、「区別」だと考えて見てはどうかと思いました。

差別は良くないが区別は時には必要なのでは?

本当は、肌の色や人種や国籍などの違いで区別するというのは良くない事なのですが、そうではなく「差別」をする事が良くないと考えて見るのはどうでしょう?

差別は良くないが、区別は必要かもしれない。

こう考えて見ると、私としては少し気が楽になります。

なぜかと言うと、お隣の中国でもウイグルやロシアに近い地域になると西洋人的な風貌の方は存在するのです。

また、ロシア国内でも西洋人と東洋人の風貌をした人はかなり混ざっているし、ヨーロッパの国々でも当たり前です。

例えば、私はドイツのサッカーチームが好きなのですが、2010年のW杯でドイツ代表のなかにトルコ系ドイツ人のエジルという選手が大活躍していました。

彼の風貌は典型的なドイツ人とはかなり異なります。

それは彼がトルコ系移民の3世だからです。

今、エジル選手について「トルコ系」と書きました。

要するに、世界の国々には元から住んでいた、その土地や国の民族がいた、という単純な構図が、今まで存在していました。

しかし、20世紀に入り、船や飛行機などの移動手段が発達し、今まで自国の土地で生活をしていかなければならなかった世界中の人々は、民族大移動とも言える、かつての歴史になかった移住が容易に出来る世の中になってしまいました。

それによって移住した人々ですが、移住先にて快く迎えられたという話は残念ながらあまり聞いた事はありません。


その3に続く。
Date: 2010/10/23(土)


19 アメリカ系うちなーんちゅ(その1)


(上の写真は、那覇市民対象うちなーぐち講座の成果発表の様子。パレット久茂地市民劇場にて。)





さて、日本社会が私の事を定義する上で良く使う言葉「ハーフ」だとか、「ダブル」、「外人」など、色々な言葉について書いてきました。

上に述べた言葉について私は否定的です。

その理由についても書きました。

では、どういう風に日本、うちなー社会で私は定義されたいか?

どういう呼ばれ方をすればわたし自身納得できるか?

物心がついた幼少期から現在まで、私自身、悩みに悩み、考えに考えてきました。

結論はもはや述べてはいますが、その前に言っておきたいのは、本当は私自身何とも定義されたくないし、自分の名前、

比嘉光龍(ふぃじゃ ばいろん)

と呼ばれる以外、別の言葉では呼ばれたくないというのが本音です。

私は人間であり地球人です。もっと細かく言えば、日本国籍を持ったうちなーんちゅ(おきなわ人)です。

それだけです。

日常は比嘉光龍(ふぃじゃ ばいろん)と名前だけを呼ばれればそれで満足です。

そうだ!そうだ!と同じ外国人の親を持つ境遇の方からの声が聞こえてきそうですが、しかし、現実問題として、日本、うちなー社会は西洋人の容姿を持った人で日本国籍を持っている人に対しては、どうしても日本人だと思えないという事実は存在します。

これは本当にどうしようもない事で、人種のるつぼアメリカでさえも内陸部に行くと、東洋人の容姿をした人がアメリカ人なのかどうか、英語を話すまでは疑ってしまう、偏見を持ってしまうという事実は存在するのです。

ここ、日本社会で西洋人の容姿を持っている方は、どうしようもないくらいに外国人扱いされてしまうという大きな、大きな無知が存在します。

もう、これは「りんごは果物である」という事と同じ位の圧倒的な事実として、否定できないほどの大きな間違った常識として存在します。

これにあらがう事も良いのですが、少し視点を変えて見ましょう。

何か、この日本社会での偏見に対する自衛策はないのか、私は40年間考え続けてきました。

そして、答えが、私のまだ見ぬ父の国アメリカにありました。

その2に続く
Date: 2010/10/22(金)


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